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お花見の白のミツマタ。
母親との距離。
母親とソリが合わないので、父親が病気になるまで、20年は帰省していませんでした。
安否確認で、電話はかけてましたが、それもたまに。
母親からかけて来ることはありません。
私のオットが出たらどうしようとか、内弁慶な母親は思うのでしょう。
(オットは家電には出ないんですが・・)
でもまだこの時点では、母親自身は私の思いに気付いて無かったと思います。

姉妹たち。
私の姉妹たちも、実家から遠くに離れて住んでいます。
横のつながりも薄く、姉妹なのに割とクールな付き合いです。
それぞれ実際に忙しかったですしね。
実家にも近くにも誰一人残らなかったのは、母親自身が望んだ部分もありました。
今思えば、自分が年をとるという想像が、できてなかったのかも知れませんが。
何より、自分の娘達を「偉く」育てて、周囲に自慢したい、夫(父親)の親戚を見返したい気持ちが強かったんだと思います。
そういう人なんです。
(※偉い=学校の先生、公務員とか。娘らは、母親の夢は一切無視して自分の夢を叶えてます。笑)
幸い、娘たちが一向に帰省せずとも、地域?の活動だかに熱心に勤しんだり、夫(父親)という敵と戦ったりしてたため、気にもならなかったと思います。(「忙しい」と電話を切られる事もしょっちゅうでしたからw)

東日本大震災。
その生活に転機が訪れました。実家は被災地にあります。
幸い実家と両親は何とか無事でしたが、辛うじて津波から免れた人達も特に高齢者は生活が大きく変わり、続々と亡くなっていきました。その後、父親もその一人になりました。(関連死とは認定されません)
姉妹は、これを機に帰省を復活しましたが、私はそれでも帰ろうとは思えませんでした。
(「何で帰って来ないんだろう」と皆で言ってたみたい。笑)

父親の死。
父親が病気になり入院やら介護やらの手続きで、人手が足りず、帰らない訳には行かなくなりました。
(親戚は、被災してる人も多く、頼れる人がいなくなったのです)
ここが潮時と諦め、帰省し手伝うことにしました。
久しぶりの実家は、凄く散らかっている上に地震であちこち歪んだり、物が落ちたり倒れたり、足の踏み場も無い有り様となっていました。
玄関も壊れ、出入りもできません。(勝手口からしてました)

当時は、父親の用事だけちゃちゃっと済ませ、寒い時期でもあり家の中は放置して、一旦自宅に戻っていました。
それが、父親が急変し、家の改築工事を慌てて進めたのだそうです。(資材も大工さんも不足してギリギリ)
無理に改築したのは、田舎の古いしきたりで、家から葬式を出さなければならなかったから。
それと、荷物の多さです。
葬式で使う部屋を空ける為に、そこにあった荷物を入れる部屋が必要となったのです。一番は母親の洋服でした。
山積みガラクタと母親の洋服を、男衆や大工さんらが総出で空部屋へ運んでくれ、適当に詰め込んでくれました。
(というか、あの状態から短期間でよくやったと思います。凄い状態だったから・・)
葬式が無事に終わり、姉妹家族は元の生活へと戻って行きました。
こちらは赤のミツマタ。枝が三つの又に分かれて「ミツマタ」。

汚実家
そして残ったのが、汚実家と私と母親でした。
4年前。こうして、私の汚実家片付けが始まりました。
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