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「長電話」のつづき)
実家の両親は、結婚式の当日に初めて顔を合わせたそうです。
嫁ぎ先で酷い目に遭い子供を奪われ若くして亡くなった姉(妹?)が居た母は、結婚などする気は無く、
そんな母と母の両親が、仲介人に騙された結婚と知ったのは子供ができた後でした。

父は、地元では有名な困ったサン?で問題行動が諸々ばれてしまうと嫁の来手が無かったのでしょう。
素直・お人好し・体が大きい・力が強い・大酒飲み・食い道楽・着道楽・女性にもてる、例えて言うならお相撲さんみたいな感じでしょうか。
・・・今なら高砂親方?違うかな


父の実家(本家)は地元で手広く商売をやっていた事もあり、結婚披露宴はその本家を舞台に三日三晩続いたそうです。
大勢の兄弟の中で下の方の父が産まれた時には、当主は歳の離れた長男の代になっていました。
隠居した実父母、父代わりの長男夫婦とその子供達、それより年下の父と弟達、その他の親戚も含めた大人数で広いお屋敷内に何不自由なく育てられます。
年齢的に徴兵も免れ、戦死した兄達の分も余計に自由にお金が使えたのだそうです。

結婚してからも本家に同居していた父母は、子供が産まれる事で別所帯を構える事を許され新居を建てて貰います。
しかし、時代の変化と共に本家の商売は斜陽を迎え、娘達が小学校に上がる頃をピークに暮らしは厳しくなって行きました。
お金持ちの意識がいつまでも抜けない父と、かたや普通の家の出の母と間では、お金が元での喧嘩が絶えず、父を口汚く罵る母とそれに対抗して暴力をふるう父という構図ができていきました。
父にとってお金とは、天から降ってくる物・泉から湧き出る物で、貯金などの発想などさらさら無く、母は実家に頻繁にお金の無心に通っていました。

表向きには一緒に仕事をしていた両親でしたが、家の中では、食事以外は別の家庭内別居状態でした。

母の実家からは離婚の話も幾度となく出たそうですが、「子供」を理由に母は離婚しませんでした。
父は父で「妻子に出て行かれた」と周囲から馬鹿にされたり本家から叱られるのを恐れて離婚は許さなかったのでしょう。
(今から振り返れば、母自身もお金の使い方が下手な人間で、離婚しなかった理由は子供では無かった気がします)

父や父の身内からは嫁として虐げられ、父の巻き起こす問題や事件の後処理を一手に引き受けざるを得なかった母の唯一の救いは娘達でした。
娘達は、田舎レベルとは言え出来が良かったりしたものだから事ある毎に自慢して歩いていました。
父の事で難癖をつけて来たり馬鹿にしてくる相手には、お互いの子供の出来で対抗するしか黙らせる手立ては無かったのでしょう。
そして母は、いつしか娘達が独立した暁には誰か自分をここから連れ出してくれると信じ切っていたと思います。

それを娘達は、どう思っていたか。
当時は子供だったので、問題を起こす父さえ居なければと安易に思っていました。
でもそれは思わされていただけで、実は、そんな母の方が嫌だったのでは無いのか。
いずれにしろ私は理由なんでどうであれ家から出たくて出たくて仕方が無く、何よりもそれだけを優先して進路を決めました。
姉妹の中で私だけ反抗期があって荒れてたんですが、家ばかりでなく、閉鎖的な超田舎特有の世間の監視の目に耐えられませんでした。
その内、友達と一緒にいる時に、自分の口から唐突に「うるせ~っ」とか、出てくるようになりました。
一緒にいた友達は、ビックリしたと思います。笑
何より私が一番ビックリしたのですから。

何かを考えていて思わず口走ったとかじゃない、誰かが私の口を勝手に借りて言ったみたいな感覚でした。
恐山のイタコ状態
こんな事は、2度程ありました。

「ヤバイ、私はこのままここでは暮らして行けない。ノイローゼになりかけている

私は、程なく実家を出て親の呪縛から抜けだし念願の一人暮らしが始まります。
しかし、一年もしない内にある症状が始まりました。




摂食障害(過食嘔吐)です。
(つづく)
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【余談】
吐きダコはできませんでした。手も使いましたけど、脳内で「吐こう」と思っただけで簡単に吐けたのです。
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